割岩が淵の大蛇

 昔、中津山の家々は、もっと山の方にあって、田んぼになっているあたりは沼でした。

 そのころ、南中山地区をおさめていたのは、野岡のお宮さん近くのに、立派な屋敷を構えていた土岐伊予守(どきいよのかみ)という人でした。

 このお殿様には、それはそれは、大そうかわいい娘がありました。大事に育てられ、綺麗なお姫様になられました。

 けれども、お父様が亡くなってからは、悲しみに沈む毎日が続き、

「もう、生きる望みがなくなってしまった。」

と、中津山の南の端にあった、大きな岩の割れ目の淵(割岩が淵)に身を沈めてしまわれました。

 それ以来、この淵には大蛇が現れるようになりました。村人たちは

「お姫様の化身でないやろかの。」

と、岩の上から恐る恐る覗きましたが、大蛇の胴体しか見えませんでした。頭や尻尾を見た人は誰もいないという話です。

 この大蛇は、不思議なことに、天気によって腹を出したり、背中を出したりしました。大蛇の腹が見えた時は雨降りになり、背中が見えた時は晴れになりました。

 それでお百姓さんは、割岩が淵を覗いては、

「今日は晴れだな。畑の草取りに行こう。」

「どうも雨になるらしい。急いで取り入れをしよう。」

と田畑仕事の段取りをしました。

 ところが、この割岩の上には、中津山への道が通っていたので、ここを通る時にはお殿様でも、馬から降りて歩かなければなりませんでした。あまり邪魔になるので、明治になってから、この割岩を取り除き、通りやすい道にしようとする工事が行われることになりました。

 工事が進み、割岩をすっかり崩して、取り除こうとした時です。天地を引き裂くような雷とともに、大雨が幾日も降り続き、大洪水になりました。困った村人は、みんなで相談しました。

「この岩には、お姫様の霊がのりうつっているんやろ。」

「もったいないことをするから、ばちがあたったんや。」

と恐ろしがり、崩した岩の片割れを神社へ持って行って、丁寧におまつりしました。すると大雨はぴたりとやんでしまいました。

 今でも、その割岩の一部が、中津山の国中神社にまつられているということです。

 

(出典:今立むかしむかし)